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アドラー心理学の個人的考察
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アドラー心理学の個人的考察

 最近、ベストセラー『嫌われる勇気』で注目を集めている心理学者アルフレッド・アドラー。アドラーは、有名な心理学者ジークムント・フロイトと一時は共に学びながらも、考え方の違いから袂(たもと)を分かち、独自の理論を展開します。
 ここでは、個人心理学とも呼ばれるアドラー心理学について、個人的な考察をしていこうと思います。


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1.アドラー心理学の基本前提

 現在は、たくさんのホームページがアドラー心理学を解説していますが、どれも説明が理屈っぽ過ぎて分かりにくく感じています。例をあげて説明していても、どの例文も非常に短く断片的で、前後の関係も不明なため、(本当にそうかなぁ?)と疑念を抱いてしまうものばかりです。

 そこで私は考えました。自身の過去の実体験にアドラー心理学を当てはめてみようと...。

 その前に、まずはアドラー心理学の基本前提について概略を紹介します。アドラー心理学の主な柱として、以下の3つの考え方があげられます。

<アドラー心理学の基本前提>
・全体論
・目的論
・対人関係論

■ 全体論

 人の中にある、意識と無意識・感情と思考・心と身体などの間に、矛盾葛藤対立などの構図は発生しない。一つの目的を達成するために、それぞれが見事に連携しながら行動している。
 また、個人の創造性や主体性が、全ての思考や行動の根拠になっている。

■ 目的論

 人の行動は、無意識や感情やトラウマ(心的外傷)などによって操られるようなものではなく、全て、現在や未来の目的を達成するために行動している。

 その目的は、
  1. 生物学的に、個体保存(生命の維持)・種族保存(家族や種族の繁栄)
  2. 社会学的に、所属意識(社会の一員に加わること)
  3. 心理学的に、貢献欲求(誰かの役に立ちたい)・承認欲求(自分の存在を認められたい)
 の5つに集約される。

■ 対人関係論

 全ての悩みや問題は対人関係から生まれる。対人関係を良好にすることが、目的の最終到達点であり、幸福の絶対条件である。

 対人関係を良好にするために、いちばん最初に理解し実践しなければならないことは「課題の分離」である。課題の分離とは、自分の課題と他者の課題を明確に区別し、他者の課題にむやみに踏み込まないこと、自分の課題に他者を踏み込ませないことである。

 そして、対人関係において最終的に目指すべきゴールは「共同体感覚を持つ」こと。共同体感覚とは、以下の3つを満たしている状態のことを言う。
  1. 他者信頼無条件に相手(他者)を信頼すること
  2. 他者貢献自分が共同体(他者)の役に立っていることを自覚すること
  3. 自己受容自分の存在を肯定し、共同体の中に居場所を確保すること


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2.過去の実体験

 ここからは、自分の過去の実体験を例文としていくつかあげていきます。これら一連の自分の行動をアドラー心理学に当てはめて考えてみると、今まで認識していた過去の記憶とは一味違った新しい過去が見えてきます。
(※アドラー心理学に当てはめた考察は、第3章以降に行ないます。この章では、従来の自分の認識に基づいた書き方になっております。)

 ちなみに、例文Aは、何事にも自信がなくて人生に何一つ希望を持てなかった私が、"本当の人生"の第一歩を踏み出した頃の話です。例文Bは、その数年後にあった、とある恋愛がらみのお話です。

<例文A>人生のバースデイ

 あの頃の私は、とにかく周りの目ばかり気にしていました。悩みはとても深刻で、まず第一に、自分自身というものが大嫌いでした。
 この頃は、周りの目を気にし過ぎるのが問題なのではなく(そんなこと1ミリも思っていませんでした)、自分の容姿自分の性格周りの人たちとの相性に問題があるとしか考えていませんでした。

 とにかく誰ともしゃべらない(しゃべらないというよりも"しゃべれない")。待っていても誰も話しかけてくれない。自分を除く周りの人たちは、みんな楽しそうにワイワイやっているというのに...。

 最初の頃は(何故みんなは自分を仲間に入れてくれないんだろう?)周りのせいにしていました。
 だけど、ときどき誰かが話しかけてくれたときに、とにかく口下手だった私は極端に緊張してしまい、モゴモゴしてしまったり黙りこくってしまって、まともに返答ができませんでした。
 一方では、そんな自分がいけないことも分かっていました。

 ある時期から、こんな自分を変えたいと強く思い始めました。誰も話しかけてこないのならば、自分から話しかけていくしかないとも思いました。
 だけど、もしも自分から話しかけたりしたら、きっとみんなは、突然しゃべり出した私にビックリしてしまうんじゃないか、と考えてしまうのです。
 そして、

「おっ、どうしたどうした? お前から話しかけてくるなんて珍しいな。そういう声してたんだ。初めて聞いたよ、はははは...。」

 のようなリアクションが返ってきそうで、怖くて怖くて仕方ありませんでした。

 日付もまだ覚えています。どんな言葉だったのかも覚えています。そんな恐怖心に打ち勝って、初めて自分からみんなに話しかけたときのことを...。
 あの日こそ、本当の意味での「人生のバースデイ」だと思っています。そして、その最初の第一歩を踏み出したあとの自分自身の急成長は、まさしく凄まじいものになったのです。


<例文B>遅刻されるトラウマ

(それから数年後...)
 同性・異性にかかわらず抜群のトーク力を身につけていた私は、ある女の子から好意を寄せられていました。すでに私の恋愛経験は主なものだけでも3人(軽いつき合いや短期間で終わってしまったものを含めると数え切れないほど)になっています。
 とりわけ3人目の彼女は本当に大好きで、かなり真剣な気持ちでつき合っていました。ですが、残念ながら別れてしまい、その3ヶ月後ぐらいの話です。

 自分に好意を寄せている女の子(Sさん)は、まったく好みのタイプではありませんでした。なので(相手を傷つけないようにやんわりと)断ったのですが、Sさんはその後もくじけずに何度もデートに誘ってきます。

 その都度、遠回しに断り続けていたのですが、あるとき、彼女がいつもとは違う、ちょっと面白い誘い方をしてきたことがあり、「とりあえずデートだけなら」とOKしました。いいかげん彼女の一生懸命さに心がほだされ始めていたこともあり、デートの結果次第では(つき合ってあげても良いかな)とも考えていました。

 ところが、デート当日の待ち合わせに、彼女は10分ほど遅刻してきたのです。(そっちから誘っておきながら待ち合わせに遅刻するとは...)と、非常に気分が悪くなり、結局は10分の遅刻を理由に、今度は遠回しではなくしっかりとお断りしました。
 Sさんは「少しでもキレイに見せたくてお化粧に時間がかかり、バスに乗り遅れてしまったから。」などと言い訳をしていましたが、そんなことは理由にならないと思いました。

 正直(たかが10分の遅刻で...私は厳し過ぎるのだろうか?)とも思いましたが、3ヶ月前に別れた大好きだった彼女は待ち合わせに遅刻してくることが多く、それでケンカしたことも別れの原因の一つだったことから、相手に遅刻されるのがトラウマになってしまったのだと考えました。

 このSさんの一件以来、私はデート時の遅刻に相当厳しい男になり、(後から思えば)もったいない別れ方を何度も繰り返したように思います。



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3.フロイト的解釈とアドラー的解釈〜全体論と目的論〜

 まず最初に<例文B>(遅刻されるトラウマ)を見てみましょう。

 当時から心理学には興味があり、中途半場とはいえフロイトのことはそれなりに知っていたので、相手に遅刻されるともの凄くイヤな気持ちになるのをトラウマととらえていました。そして、(トラウマなのだから仕方がない)と思い、絶対に遅刻しないような女の子としか、まともにつき合えない感じになっていました。

 つき合うと決めてつき合い始めた女の子に遅刻されたとき、本当はさほど怒っていないのに、ついつい文句を言ってしまい、文句を言ったことで、ますます怒りが増幅されていく感覚も、後になって思えば感じていたように思います。

 ですが(トラウマは無意識の中でのものなので、意識でどう考えても無駄なんだ)とあきらめていました。
 また、たとえ遅刻されても許せるような相手が現れたときに、初めてトラウマを克服できるのではないかと考えたりもしましたが、そういう相手はなかなか現われませんでした。

 結局、かなり後になって(自分の心に正直になろう。さほど怒っていないのであれば、怒るのもよそう)と考えられるようになり、そこで初めて遅刻されるトラウマを乗り越えることができました。

  • 全体論…意識と無意識(感情と理性、精神と肉体など)は、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに影響し合い補い合いながら、分割できない全体として存在している。
  • 目的論…人は、過去の原因に動かされているのではなく、未来の目的に向かって生きている。

 アドラーは「フロイトの言うトラウマ(心的外傷)なんてものは存在しない」と言っています。全てにおいて本当にそうなのかどうかは少々疑問も残りますが、少なくても<例文B>における"相手に遅刻されることへのトラウマ"は大きな勘違いだったようです。

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 アドラー的に解釈してみると、以下のようになります。

 そもそもSさんは自分の好みのタイプではなかったので、最初から"断る"のが前提にあったと思われます。しかし、くじけずに何度も何度もデートに誘ってきたという一生懸命さから(この子は自分に尽くしてくれそうだ)という期待が生じ、それならばつき合ってみても良いかな、と、彼女を査定するためにデートに応じたのです。

 ところが、彼女は待ち合わせに遅刻してきます。そして、遅刻の言い訳として「キレイに見せたくてお化粧に時間がかかったから」と言うのですが、それを聞いた私は無意識の中で(私を待たせることよりも、自分をキレイに見せることを優先した)と判断し、(この子は自分に尽くしてくれそうにない)という結論に至ったのでしょう。

 その結果、彼女とつき合うメリットは一つもないと判断し、断ったというわけです。

 つまり、過去のトラウマは、遅刻されたときの不愉快な気分を増幅する効果はありましたが、相手を振る・振らないには全く関係なかったのです。

 要するに、これは、意識(振るという決断)と無意識(尽くしてくれなさそう・好みのタイプではない)が見事に連携した結果の行動だと言えます。これはアドラーの言う全体論に見事に当てはまるのではないでしょうか。

 アドラーは「トラウマ(心的外傷)などというものはない。」と言い切っています。自分が過去、痛い目に合った出来事について、ただ単に同じ思いをしたくないからトラウマという丁度良い言葉を持ち出してきているだけであり、トラウマのせいにすることで自分の臆病さに直面しなくて済むわけです。
 つまり、過去の痛い目をもう一度経験するのを100%確実に回避するために逃げる決断をし、逃げるという臆病さに言い訳するためにトラウマという言葉を引用しているに過ぎないのです。

 また、アドラーの「目的論」の見方で解釈を加えれば、Sさんとデートに臨むときの私の目的は以下の2つであったと思われます。

  • 目的1自分に尽くしてくれそうならつき合っても良い
  • 目的2そうでなければ、好みのタイプではないのでつき合いたくない

 そして、彼女の遅刻とその言い訳によって目的2の方が選択されたのです。決してトラウマという過去の出来事によって"断る"という決断がなされたのではなく、自分に尽くしてくれなさそうだし、好みのタイプでもないので、「つき合いたくない」という目的を達成するために私は断ったのです。


4.ライフスタイルと課題の分離

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 アドラーは対人関係論の中で、対人関係を良好にするポイントの一つに課題の分離というものをあげています。

 次に<例文A>を見てみましょう。

 周りの目ばかり気にしていたあの頃の私は、そういった生き方(周りの目を気にする生き方)しか知りませんでした。その結果、容姿による劣等感(チビ・デブ・ブサイクなど)から、なるべく目立たないように極めておとなしい性格を形成していました。

 おとなしく目立たないようにしていれば、リアルタイムに感じる劣等感を最小限に抑えることができます。アドラーの目的論で説明すれば、これはつまり、劣等感をなるべく感じないことを目的とした性格形成がなされたとも言えるでしょう。

 この「性格」という言葉を、アドラーは「ライフスタイル」と呼んでいました。

 人には、生まれつきの性格などというものはない。あるのは、いつでも簡単に変えることができるライフスタイルのみである。

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 友達だってほとんどいませんでした。
 何しろ、自分から積極的に誰かと関わることが出来ず、チビという劣等感を刺激して欲しくもなかったので、相手から積極的に関わってくる人間であり、かつ、自分と同じくチビである人間でなければ、友達になることはできなかったのですから。
 そんな人とは、そう簡単に出会えるはずもありません。

 つまり、自分から能動的(積極的)に他者にかかわるのではなく、周りが自分にかかわってくれるのを待つ受動的(消極的)なライフスタイルも形成していたわけです。

 当時の私にとっての、この受動的・消極的なライフスタイルは、アドラーの言う課題の分離が出来ていない典型的な例とも言えるでしょう。

 他人の課題と自分の課題は別であることをしっかりと認識し(課題の分離)、他人の課題にむやみに踏み込まず、他人にも自分の課題に踏み込ませない姿勢で臨まなければいけない。そうやってお互いに自立心を持った上で協力し合うことが大切である。 

 例文Aで言えば、

  1. もしも自分から話しかけたとき、
    みんなが「おっ、どうしたどうした...!」というリアクションをするかどうかは...相手の課題
  2. みんなからの(予想される)リアクションへの恐怖心を克服するかどうかは...自分の課題
  3. 「なんでみんなは自分を仲間に入れてくれないんだろう?」と思いながら、
    みんなが自分に話しかけてくる(のを待つ)・みんなが仲間に入れてくれるかどうかは...相手の課題
  4. 自分が、みんなから"仲間に入れてあげたい"と思われるような人間になることは...自分の課題

 ということになります。

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 もちろん、当時はアドラー心理学のことも課題の分離のことも全く知りませんでしたが、私はあの時、恐怖心を抑えて勇気を振り絞り、みんなに自分から話しかけてみたのです。みんなは意外と自然に応対してくれました。

 このことが、私が人間関係において"受動的な姿勢"から"能動的な姿勢"へとライフスタイルを書き換える第一歩となったのです。

 自分のそれまでのライフスタイルを書き換えるのには、必ず"勇気"というものが必要になります。ですが、この"勇気を出せたこと"自体が、自分で自分を作っている快感をもたらし、ひいては自分自身への揺るぎない自信へと繋がっていくのです。


 その後も、私は自分からみんなに話しかける"能動的な姿勢"を続けました。最初の頃はその度(たび)に勇気が必要でしたが、次第にあまり勇気は必要でなくなり、最終的にはほとんど自然に話しかけられようになりました。

 ただし、結果的にみんなが私を仲間と思ってくれるようになったのかどうかは微妙なところです。やはり、それまで長い間のおとなしいイメージは、そうそう簡単に払拭(ふっしょく)できるものではないのかもしれません。
 だけど、それでも私は大満足でした。自分が自分の意思で、望んでいた自分(積極的な人間)に変身させることが出来たのですから。

 あらためて、アドラー心理学を頭に入れて自分の過去を振り返ってみたとき、この頃の自分の"変身"こそ、課題の分離の典型的な例だったのではないかと思えるのです。

 最後に、元メジャーリーガーの松井秀喜氏の名言を一つ紹介します。

「自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることに集中するだけです。」 (松井秀喜)



5.M子ちゃんの微笑み作戦

<例文C>(M子ちゃんの微笑み作戦)

 その後の私は、興味のある人には自分から積極的にかかわっていくような人間になりました。
 いちばん最初に自分から話しかけたときに比べれば、必要な勇気は微々たるものになりましたが、それでも、時と場合と相手によっては多少の勇気が必要だったりもします。ただ、そのドキドキ感を楽しんでいる自分もどこかにいて、毎日がとても楽しく充実したものになりました。
 ですが、この頃の私はまだ、さほど興味のない人にはあまり関わろうとはしませんでした。

 ある日、それまでさほど興味もなかったM子ちゃんという女の子が、通りすがりの私に挨拶をしてきました。

「木下くん!こんにちは!」

 おそらくM子ちゃんとは一度も話したことはなく、たとえ通りすがったとしても、雑踏の中に紛れてすれ違っていくような、単なる顔見知り程度の関係だったはずです。
 なのに、わざわざ私の名前を呼び止めてまで挨拶をしてくるなんて...しかも満面の笑顔で! こちらも反射的に「あっ...こんにちは。」と笑顔で返すことはできましたが、いったい何事だろうと思って内心戸惑ってしまいました。

 だけど、同時に自分の胸がドキドキしていることにも気がついたのです。M子ちゃんは特に可愛いわけでもないし、普段あまり笑顔も見せないおとなしい感じの子だし、正直、これまで一度も彼女に対して魅力を感じたことはありませんでした。
 なのにただ一度、笑顔で挨拶されただけで、不覚にも私はM子ちゃんを好きになってしまったのです。人って、こんなに簡単に恋に落ちるんだなって思いました。そして「挨拶って素晴らしい!」とも思いました。

 そして、
もしかしたら、これまでの自分も周りの人に対して似たようなことをやってきたのかもしれない
 と気がついたのです。

 これまでは、あくまでも"自分のため"のつもりでやってきたのだけれども、
もしかしたら、相手も嬉しい気持ちを感じていたかもしれない
 と思ったのです。

(相手が女の子であれば、私に恋してしまった子もいたかもしれない...相手が男だったとしても、少なくてもイヤな気持ちにはならないだろう...。)

 数日後、あの日のM子ちゃんの笑顔の謎が解けました。
 とてもカッコいいイケメンの彼氏が出来た日だったらしく、嬉しさのあまり、誰かれ構わず笑顔で挨拶しまくっていたようです...
...というわけで、私はあっという間に失恋してしまったわけですが、この一件でとても大事なことを教えてもらったのです。

「これからは興味のある人だけでなく、もっともっと大勢の人に積極的にかかわってみよう。これを"M子ちゃんの微笑み作戦"と名付けて実践し、みんなの嬉しい気持ちや恋心の発信源になろう!

と、決心したのです。


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 アドラー心理学では(前出の)「課題の分離」は人間関係の単なる入口であり、「目指すべき最終目的は"共同体感覚"を持つことである」としています。

 人間は一人で生きているのではなく、さまざまな共同体(家族・学校・会社・地域・国・世界...)の中で多くの人とかかわりながら生きています。
 それぞれの共同体に含まれる他者を信頼し、共同体の中で自分が役に立っているという自信を持ち、かつ、その中に自分の居場所がある、と実感できる...これが共同体感覚がある状態です。

 つまり、共同体感覚は以下の3つの柱で成り立っているわけです。

  1. 他者信頼無条件に他者(共同体)を信頼すること
  2. 他者貢献自分が共同体(他者)の役に立っていることを自覚すること
  3. 自己受容自分の存在を肯定し、共同体の中に居場所を確保すること

 例文C(M子ちゃんの微笑み作戦)の頃の私は、明らかに2番の他者貢献に目覚めています。
 もはや説明の必要もないとは思いますが、自ら「みんなの嬉しい気持ちや恋心の発信源になろう!」と決意し、実践していくわけですから。

 これは、例文A(人生のバースデイ)のときに自分で自分のライフスタイルを作り上げることで得られた自信がエネルギー源になっています。使えば使うほど増大していく永久機関のようなエネルギー源であり、この自信を獲得することが、いわゆる3番の自己受容ではないかと、個人的には考えています。(人によって色々な解釈があるようですが...)

 まずは、自分が役に立っているか立っていないかを意識することなく、とにかく人間関係の中に入っていくこと...個人的にはこれがスタートラインのような気がします。

 その結果として、例文B(遅刻されるトラウマ)の状況のように、ワリと頻繁に女の子から告白されるような男へと変化していきます。これはきっと、男女にかかわりない「人間としての魅力」が極めて高くなった結果ではないかと自負しています。

 こうして、3番の自己受容から始まり、2番の他者貢献を経て「人間としての魅力」を獲得してきたわけですが、あと残る問題は1番の他者信頼です

  1. 他者信頼???
  2. 他者貢献挨拶や笑顔など、他者に自ら積極的にかかわることで得られる"良い意味での影響力"。
  3. 自己受容自分で自分のライフスタイルを作り上げることで得られる自信


6.他者信頼について

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M子ちゃんの微笑み作戦」を通して好意的に他者と接していると、当然、相手からも好意的なリアクションが返ってきます。おのずと良好な人間関係が築かれて、「人は信頼できるものだ」という感覚が育っていく...

...個人的には、これで充分に他者信頼を満たしているような気持ちになれるのですが、多くのアドラー心理学研究者の話を聞くと、どうやらそういうことではないようです。

 確かに、中には、せっかくこっちが好意的に接しているのに、悪意を持ったリアクションを返してくる人もいますし、こちらが好意的なのを良いことに、営業やら宗教やらの勧誘をかけてくる人もいます。こういった人たちを信頼することはできません。

 ですが、どうやらそれではダメなようです。

他者信頼…あの人は「〇〇をしてくれるから・●●が得意だから」信頼できる、あの人は「○○してくれないから・●●が苦手だから」信頼できない、といったことではなく、他人を"無条件"で信じてあげること(他人の不完全さを認めて、良い方向に変わっていける存在であると信じること)

 研究者によっては、言動・容姿・性別・宗教・価値観等にかかわらず、相手の魂(たましい)を信じてあげること...なんて説明しているケースもあります。理屈としては何となく理解もできますが、現実的に・具体的にどういう状況なのか、内容が漠然とし過ぎていま一つピンと来ません。

 ただ、私の経験として2つほど例をあげれば...

<例文D-1>
 以前つき合っていた彼女の話です。
 彼女は、決していつも好意的だったわけではありませんでした。いつも私の期待に応えてくれるわけでもありませんでした。ケース・バイ・ケースで「それはあなたの問題でしょ?私は知らない。」と言って突き放してきたり、「分かった。必ず私が何とかする。」と心強いことを言ってくれたり、ある意味、そういったツンデレなところに振り回されていたような面もありました。
 当時は「信頼したいけれども、信頼できない相手=信頼できないけれども、信頼したい相手」の典型のように思っていました。
 最終的には別れてしまいましたが、その後、再会してからは親友のような間柄になり、お互いに異性の友人として何でも相談し合える信頼関係を築くことができました。

 後から思えば「私の問題は私の問題、あなたの問題はあなたの問題」という風に、あたかもアドラー的な「課題の分離」をキチンとわきまえた接し方を、彼女は私に対してしてくれていたような気がします。


<例文D-2>
 また別の彼女の話です。
 まだ私がそうとう未熟だった頃、決して別れることのない"完璧な恋愛"を追及した結果、とても悲惨な結末を迎えてしまった、ある彼女とのつき合いについて。
 彼女に対して、私は常に理想の恋人を演じていました。
(そんなことが可能なのか?)と思われるかもしれませんが、つき合い始めた初期の頃に、相手の心の動きをシッカリと見てキチンと分析すれば、だいたいどんな男が理想なのか分かります(...というか、分かったつもりでいただけかもしれませんが。)
 要するに、私は彼女とまったく本音でつき合っていません。それは彼女もまた然りで、彼女の方にもそれなりの事情というか、何らかの思いがあったため、お互いに理想の恋人を演技し合っていました。
 ただ、そんな表面上のつき合いの中で唯一、彼女に対して愛情を感じる瞬間がありました。それはいつも"男女の行為"の後にやってきます。
 彼女の身体に触れるととても温かいこと、彼女の肺が膨らんだり凹んだりして(ちゃんと呼吸をしているんだ)と感じるとき、胸に耳を当てて聞こえる心臓の鼓動...これらはすべて彼女が生きている証です。
 お互いに理想の恋人を演じ合っていて、相手に真実の姿を見せていません。だけど、この身体の温かさや呼吸や心臓の鼓動に嘘はありません。ある意味、私がリアルタイムに感じ取れる彼女の真実がここにあるんだって思えて、彼女の生命そのものへの愛情を感じていました。

 これがいわゆる"魂(たましい)を信頼する"といったことなのかどうか分かりませんが、少々、近いことのようにも思えます。

 このように、たくさんの人々と多彩な人間関係を構築していく中で、他者信頼に値する相手と、ごくマレに出会えるようなものであったり、相手の生命そのものへの愛情のようなものが、アドラーの言う他者信頼なのかもしれません。

つづく


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■恋愛経験がなくて、勇気を出すこともできない人間が『最初に獲得するべき自信』とは?
■リアルな恋愛の第一歩すら踏み出せない人が行なうべき【その準備と初めの一歩】!

■著者:木下雄介
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